ソフトにフレキシブルに

ちょうど2週間前くらいに、祐二と海外買付から帰ってきた。行きはなんと驚異の56時間。疲れたなぁ。とにかくフライト時間が長くて、ずっとワンピースを見てた。小学校の頃、途中で飽きてやめてしまった。また見出したけど、やっぱり面白い。そんなこんなでフライトはワンピース、現地では買付という日々を2週間ほど送った。かなりしんどかったけど、またあの頃の楽しさが沸々と僕の脳内をめぐって、すぐに海外買付行きたいとか言い出すだろうな。

FOMEはセレクトと古着をやっているけど、半分以上が古着だから、言わずもがな古着がFOMEにとって重要ということはわかると思う。じゃあなぜFOMEで古着が重要なのかをスタイリングの視点で考えてみると、それは一種の安定剤みたいな役割をしているように感じる。スタイリングを組む時、余裕があるくらいのバランス感で組むことが好きだ。またスタイリングで最近意識していることは、個人的なストーリーから紡いで服を繋ぎ合わしたり、服同士の関係性を考えるのを意識してる。もちろん、一番重要なことは見た目だと思うけど、そこに先述したようなパートが組み合わされると、より深みが出ると思う。でも僕はだからと言って、例えばアントワープ6で全身組みましたみたいなコテコテのスタイリングやgood enough,Foturaで合わせた裏原スタイルとかは、もちろんかっこいいとは思うけど、重いし気取りすぎな気がして、僕にはできない、気取れない。

軽さがありながら、繋がりを意識しつつ色んな要素を組み合わせる。それができるのがFOMEに置いているような古着だと思っている。全身新品のデザイナーズで組むことは、できるならかっこいいと思う。でも僕にはできない。何故かというと、それは僕にとってキャパオーバーだから。過剰摂取しすぎて、制御しきれない。スリラーバークで、ゲッコーモリアが1000人分の影を取り込んで、暴走して制御できなかったように。そこで僕はなんてことない古着を1,2着スタイリングに取り込むことで、自分ができる範囲内で最大限のスタイルを作っている。それが僕にとって一番心地いい。スタイルを調整してくれて、隙間を生んでくれる。だから僕はFOMEの古着が好き。

今後、僕のキャパが変化して、全身デザイナーズの時が来るかもしれない。それはそれでいいと思う。FOMEも初めはデザイナーズの古着がほとんどだった。でも少しずつ変化して、今ではレギュラーからヴィンテージ、デザイナーズまで色んな幅の古着がある。それに加えてセレクトまである。変わっていくことに抵抗はない、むしろ好き。

最近、muktaのタイコウ君のブログでFOMEで取り扱いをしている林央子さん著のわたしと『花椿』についての文章を見させてもらった。そこでタイコウ君がショップのバイイングは、編集と似ているということを書いていて、勝手に共感させてもらっていた。セレクトブランドのバイイングが編集なら、古着のバイイングはもう一つ細分化されたもの。作り手いわゆるデザイナーと少し似ていると感じる。数ある古着の中からどのような古着をピックアップしていくかというのは、FOMEという名前の古着をどのように作るのか、と同じような気がする。僕が今回の買付で意識したのは、リアルなものとアンリアルなものの中間。そういう部類の服は、基本的にヴィンテージのものというよりは、レギュラー古着と言われるような90−00年代の服が多い。それらは市場価値がほとんどなく自分の価値基準が問われる。そういうものが、僕らの感覚を一番表現でき、僕がやりたい余裕のあるスタイリングに結びついてくる。今回の買付では、特にそんなものを集めてきたので、お客さんにとっても自由度が高く、手に取れるものが多いと思う。少しずつ発送した服も届いたので見に来て欲しい。

倫太郎